父親クライマーいなごさん子育て顛末レポート!<横浜で登る幸せなクライマーいなごさんが、自身の記録を書いてくださいました。> はじめに 2006年1月にはじめての海外クライミング(タイ/プラナン)から帰国後、自然と、子どもがいるのもいいねぇと二人で話すようになっていました。その前年に友人(小川夫妻)に子どもが産まれたことや、プラナンや二子で子連れクライマーを普通に目にしていたことが後押しとなったのかもしれません。 そんな2006年春のある日、それぞれ狙っていたルートを二人とも同日RP!うちの奥さんは年間目標だった初12を登って気持ちも一区切り、もういつ(赤ちゃんが)来てもいいよーなんて言っていた矢先、待っていたかのように妊娠が分かりました。二人とも子供が欲しいと思っていたので、嬉しい驚きでした。こんなに早く授かるとは予想もしてなくて、秋に予定していたヨーロッパツアーは残念ながら断念することになりました。 パートナーの妊娠 さて、妊婦にはなったもののまだまだ見た目は普通のうちの奥さん。「今年の秋頃(妊娠5ヶ月)までクライミングができるのかな~」などと、友人の妊婦クライマー(アラジン!)を参考にのんびり考えていました。 が、現実は厳しかった。 初期には切迫流産の危機があったり、ツワリがひどくて会社も休みがち、クライマーといっても普通の人だったウチの奥さんは、平日の通勤だけで体力を使い果たし週末は寝込むという、クライミングどころか日常生活もままならないような状態でした。 さらに困ったことに、もともと乗り物酔いが激しくて酔い止め常用者だったのに、妊娠後さらにひどくなり、車での移動は困難に・・・すなわち、岩場に行くことすら不可能になってしまったのです。 6ヶ月を過ぎ、つわりもおさまった秋頃から徐々にお腹も目立ちはじめ元気になりましたが、結果として、妊娠発覚した6月(妊娠2ヶ月)以降、クライミングはもちろん運動らしきものはいっさいしていませんでした。 自分のクライミング 僕がクライミングに出掛けることについては「気持ちは分かる。逆の立場だったら行くから」と理解してくれて(ありがとー!)、週に一度、日曜日に日帰りクライミングに行っていました。 「子供が生まれる前に13登っとけ!」という厳しくも嬉しい檄を飛ばされての鳳来通い、9月にはこの目標も達成することができました。 その後も二子に場所を変えての週に一度の岩場通いは、出産の1ヶ月前、臨月に入るまで続きました。その代わり、土曜は健診や買い物につきあい、奥さんが産休に入ってからは安産のためにと二人で散歩に行きました。 平日のジムについては、あまり夜遅くなるとまずいので殆ど行かなくなり、自宅壁でトレーニングしていました。 出産 お産が早まるかもしれないと産院で言われたので、臨月に入った一月半ばの二子を最後に外岩封印。 しかし、結局予定日通りのお産となりました。(こんなことならもっと外岩行けたな。。。) 助産院でのフリースタイル出産を選んだので、出産には最初から最後までずっと立ち会いました。陣痛開始から12時間に及ぶお産でしたが、その時の奥さんの手を握る力の強いこと!こんな力を持っているんだと驚きました。そして、子供が出てきたときは驚きと感激で泣いてしまいました。 産後 産後の三週間は動いてはいけないと言うことで、しばらく岩の封印は続けて、義母や母に助けてもらいながら家事に子供の世話にと忙しくしていました。 そして、三週間後に外岩復帰し、今は妊娠中同様、週一の二子通いを続けています。 奥さんは、三週間後から徐々に日常生活に戻りました。一ヶ月半経った今、見た目はすっかり元気なようですが、まだ骨盤が不安定らしく、岩はまだまだという感じです。まずは筋肉と体力作りということで、ゆるーく腹筋したり、うちの壁でガバにぶら下がったりしているようです。 さいごに こうやって書いてみると、妊婦がいるのにかなりクライミングに出掛けていたことを実感しますが、これもひとえに奥さんの理解があってこそです、この場を借りてお礼を言います、ありがとう。 妊娠中は、それまで週1で行っていたジムにも殆ど行けず、自分には焦りもありました。幸い、うちにはプライベートウォールがあったので、ジムのような大きな動きはできないものの、細かいホールドの保持、懸垂等の簡単なトレーニングぐらいはすることができました。 また、毎週末外岩に行けたので、それほどストレスは感じずに済みました。 まだまだ奥さんの復帰の予定は立ちませんが、あまり無理せずゆっくり戻っていければいいと思っています。とりあえず、夏からクラックを始めたいと考えています。怪我をしないようにやることが第一ですね。 奥さんの育休が三年あるので、その間に親子3人でヨーロッパにクライミングツアーに行きたいなと思っています。 もどる |